第一章:始まりの夜
私は今、夜の静けさの中で一人、ソファに座っている。外の空気は冷たく、窓から差し込む月明かりが部屋の隅々を柔らかく照らしている。手には温かいお茶を持ち、ゆっくりと飲みながら、心の中で静かに思いを巡らせていた。
「お義母さん、ちょっといい?」
義理の息子、智也の声が聞こえたのは、もうだいぶ遅い時間だった。予想していた通り、彼が私に何かを相談しに来たのだろう。少し驚いたが、私はすぐに答えた。
「どうしたの、智也?」
ドアが開いて、智也が静かに部屋に入ってきた。普段はあまり目立たない彼だが、今日は少し様子が違う。顔には何かを抱え込んだような、複雑な表情が浮かんでいた。
「お母さん、話があるんだ。」
私はゆっくりとお茶をテーブルに置き、彼を見つめた。
「何かあったの?」
智也はしばらく黙って立っていたが、やがて重い口を開いた。
「実は…お母さんのことが、僕、好きなんだ。」
その言葉が私の胸に深く突き刺さった。驚きと困惑が入り混じった感情が湧き上がり、しばらく言葉が出なかった。智也の顔を見つめるうちに、私は自分の心がどう反応すべきなのか分からなくなっていた。
「それ、冗談じゃないの?」
私の声はどこかぎこちなく、震えていた。智也はゆっくりと首を横に振り、真剣な眼差しで私を見つめた。
「冗談じゃない。本当に、ずっと前からそう思ってた。」
私はその場に座ったまま、深呼吸をした。こんなこと、どう受け止めたらいいのだろう。義理の息子が、私を――。
「お母さん、どう思ってる?」
智也の問いかけに、私は答えられずにただ黙っていた。頭の中では、私の中で何かが崩れ始めているような気がした。義理の息子が私に好意を抱くなんて、どう考えてもおかしい。でも、彼の目に宿る真剣さに、私はどうしても無視できなかった。
「智也、そんなこと言ったら、何かが壊れてしまうかもしれないよ。」
私はようやく声を出したが、その声には不安が隠せなかった。もしこの気持ちに応えてしまったら、家族としての関係はどうなってしまうのだろうか。今の関係が壊れてしまう恐怖が、胸を締め付けていた。
智也は少し考え込んだようだったが、やがて静かに言った。
「でも、お母さんにはそのままでいて欲しいんだ。僕はお母さんと一緒に過ごしたい。」
私はその言葉を胸に受け止め、しばらく黙ったままでいた。彼の想いに答えられないことが、どれほど辛いことかは分かっていた。しかし、それ以上に私の中で渦巻く感情が私を困らせていた。
第二章:揺れる心
その後、智也はしばらく黙って帰っていった。私は一人、ソファに座り込み、ただ静かな夜の時間が過ぎていくのを感じていた。私の心の中では、彼の言葉がずっと響いていた。
「好きだなんて、そんなのありえない。」
私は小さく呟いた。義理の息子に対して抱くべき感情ではないはずだ。家族という枠組みの中で、彼にそのような気持ちを抱くことが、どれだけの葛藤を生むことになるかを考えれば考えるほど、私の心は重くなるばかりだった。
その夜、寝室で横になりながら、私は彼の言葉を何度も頭の中で反芻していた。彼が言った通り、彼の気持ちは本物だろう。でも、私はどうしてもその気持ちに応えることができない自分がいる。そのことが、私にとって一番の苦しみだった。
「でも、智也のことを嫌いなわけじゃない。」
その思いが、私の心を一層複雑にしていった。彼の優しさ、誠実さに触れているうちに、私も彼を大切に思っている自分に気づいてしまった。それが、まさか恋愛感情だなんて、ありえないことだと思っていた。けれど、心のどこかでは、少しずつその感情が芽生え始めているのを感じていた。
「私、どうしてこんな気持ちになってしまったんだろう。」
私は自分の心に問いかける。その答えは出ないまま、ただ時が流れていく。
第三章:距離を取るべきか
翌日、私は智也と顔を合わせることができなかった。彼が家に来ることも、私が外出することも避けるようにしていた。そんな中、私の心はますます混乱していった。彼との距離を取るべきだと分かっていながら、どうしてもそれができない自分がいる。
「こんなことを続けていくことはできない。」
私は心の中でそう言い聞かせる。しかし、心の中で彼を求めている自分がいることも否定できなかった。彼との関係がどこに向かうのかを考えると、私は恐怖でいっぱいになった。
ある日、智也が再び私に話をしに来た。その時、私はもう彼に対してどんな態度を取るべきかを決めかねていた。
「お母さん、僕、もう我慢できない。」
その言葉に、私はもう答えられなかった。心の中で何かが崩れそうになったが、それがどんな形になるのか、どう進んでいくのかは分からなかった。
第四章:心の闇に足を踏み入れる
智也が私に告白してから数日が経った。あの日、彼の目を見たとき、私は一瞬だけ何も考えられなかった。彼が求めているものが、私にとってどれほど重いものかを、心の底で感じていた。しかし、その重さを避けて生きることができるのだろうか、とも思った。
「どうしたらいいの、私は……」
私は部屋の隅に座り込み、呟いた。もうすぐ夕方、外の空は赤く染まり始めている。窓の外を見ながら、私は静かに自分の心を見つめていた。私は何を恐れているのだろう。智也が私を好きだということ、それ自体がそんなに悪いことなのだろうか。
「あの時、彼の目を見てしまったから、どうしても忘れられないんだ。」
私は声に出して、改めて自分に言い聞かせるように話す。だが、心の中では、どうしてもその言葉に素直に納得できなかった。智也が私に対して抱いている感情は、本当に無邪気なものなのだろうか。それとも、私が求める何かを彼に与えてしまったのかもしれない。
その時、ノックの音が聞こえた。智也の声がドアの外からかすかに聞こえる。
「お母さん、少しだけ話せる?」
その声に、私はまた一歩踏み込んでしまうことになるのだろうか。答えを出すことが怖くて仕方がなかった。しかし、私は意を決して答えた。
「入ってきなさい。」
智也がドアを開ける音がした。彼が入ってきた瞬間、部屋の空気が少しだけ重く感じられた。彼は一歩前に進み、私の目をじっと見た。
「お母さん、最近どうしてる?」
「…ええ、特に変わりはないわ。あなたは?」
彼の目からは、どこか迷いが感じられる。私はその目を見るたびに、胸が痛くなる。彼の目の奥に潜む想いに触れないように、私はなるべく視線を外すようにしていた。
「僕、お母さんに頼みたいことがあるんだ。」
智也は、少し息をつきながら言った。その言葉に私はまた心が震えるのを感じた。彼が何をお願いしてくるのか、その時点で分かる気がしていた。
「お願い?」
「うん…僕、もう一度ちゃんとお母さんに伝えたいんだ。」
私の胸が大きく跳ね上がった。予感していたことが、今、現実になろうとしている。それがどれほどの重みを伴うのかを、私はよく知っていた。
「…智也、お願いだから、それ以上はやめて。」
私は声を震わせながら、彼に言った。彼の顔が少し曇ったが、それでも彼は言葉を続けた。
「お母さん、僕は本当にお母さんを愛している。だから、これ以上黙っていることができないんだ。」
その言葉が私の心を突き刺す。愛している?そんな言葉が、こんな状況でどれほど重く感じられるのか。私は一瞬、動けなくなった。
「智也、お願い、もうやめて。私たちはただの家族なんだから。」
私は必死にそう言ったが、智也は私の手を取って、少しも離さなかった。その手の温かさが、私の体温を奪っていくようで、私はその手を引き離すことができなかった。
「お母さん、僕はあなたが必要なんだ。」
その言葉が、私の心に重く響いた。必要だなんて、そんな風に言われてしまったら、私はどうしても引き下がれなくなる。彼の気持ちに応えることができないことが、また一つの深い痛みを生んでいた。
「智也、お願い、こんなこと、誰にも言わないで…。」
私の言葉が途中で途切れ、何も言えなくなった。彼の目の中に浮かんだ悲しみと、私が感じる罪悪感。二つの感情が絡み合って、私はどうしても自分の心を保てなかった。
第五章:切ない決断
その夜、私は一人で再びソファに座り込み、深いため息をついた。部屋の中に漂う静けさは、私の心をさらに孤独に感じさせる。智也との会話が頭を離れず、どれだけ考えても答えが出なかった。
「私、どうしたらいいの?」
私はつぶやくと、静かに涙が頬を伝って落ちた。智也のことを傷つけたくない。彼の気持ちを踏みにじることが怖い。でも、私は彼に何も与えることができない。彼が求める愛を、私には与えられない。
「でも、私が答えたら…」
私の心の中で、強く答えが響いた。もし私がこの気持ちに応えてしまったら、家族としての絆が壊れてしまうだろう。今、私がすべきことは、彼との距離を取ることなのだと理解していた。
私はゆっくりと立ち上がり、窓を開ける。冷たい夜風が部屋に流れ込んできて、私の心を少しだけ冷やしてくれるように感じた。
「智也…ごめんね。あなたのことを、私は本当に大切に思っている。でも、これは、私たち二人のためにはならない。」
私は心の中でそう誓った。次に彼と会うときには、この葛藤を終わらせなければならない。そして、その決断をすることが、私にとっての最良の道なのだと思っていた。
第六章:彼の目を見つめながら
夜が明けると、私は自分の決断を胸に、日常のリズムに戻ろうとした。しかし、あの時智也の言ったことが頭から離れなかった。彼の目の中に映った切実な想い。それを無視することはできなかったが、私は再び自分に言い聞かせた。「家族としての距離を保たなければ」と。
その日の午後、私は台所で夕食の準備をしていた。ふと気がつくと、智也が静かにリビングの扉を開けて入ってきた。普段のように無邪気な顔をしているけれど、その背中にどこか重みを感じる。私の心の中で、再び波が立つ。
「お母さん、夕食手伝おうか?」
智也は、まるで何事もなかったかのように言った。その笑顔が私を少しだけ和ませる。だが、その笑顔の裏にある、私への想いを無視することはできない。
「ありがとう、でも大丈夫よ。あなたはリラックスしてて。」
私は軽く微笑んだが、その心はざわついていた。智也の手を借りることが、もしかしたら間接的に彼の気持ちに応えてしまうことになるのではないかと思うと、何もかもが怖くなった。
「本当に?じゃあ、俺、ちょっと手伝うよ。」
智也は、私が止める間もなく、キッチンに向かってきた。彼の手が私の手元に重なる。私はその瞬間に、心の中で息を呑んだ。彼の指が、少しだけ私の手を掴んで、触れ合う。その温かさに、胸が高鳴った。
「智也、ちょっと、あまり近くに来ないで。」
私は思わず声を上げてしまった。彼は驚いた顔をして、すぐに手を引いた。
「ごめん、お母さん。つい…」
彼の表情は申し訳なさそうだったが、その目にはまだ諦めが見えなかった。私は何とか自分の気持ちを整理しようとした。智也が好きだと言ったことを無視できるわけがない。しかし、それがどんなに大きな代償を伴うことになるのかも分かっていた。
「智也、お願い。あの時のことは忘れて。私たちは家族なの。あなたが私に気持ちを持ってくれるのは嬉しいけれど、でも…」
私の言葉が途中で止まった。彼がじっと私を見つめているからだ。その目には、何度も見たことのある優しさと愛情が込められていた。だが、そこにあるのはただの家族の愛ではない。私が感じているように、彼の気持ちはもっと深いものだ。
「お母さん、俺、どうしてもお母さんが好きなんだ。」
彼は静かに言った。その言葉が私の心を深く突き刺さった。彼の真剣な目を見つめながら、私は自分がどれほど彼に引き寄せられているのか、認めたくない気持ちが湧き上がってくる。
「でも、智也…これがもし他の誰かだったらどうなると思う?私たちは家族なのよ。それを超えてしまったら、何もかもが崩れてしまう。」
私は声を震わせながら続けた。智也が手を伸ばしてきた。私の肩に触れたその手が、私を包み込んでくれる。だが、その温もりが恐ろしいほどに心地よかった。私は目を閉じて、深呼吸をした。ここから先に進んではいけない。絶対に、私は引き返さなければならない。
「お母さん、俺はどうしてもお母さんと一緒にいたいんだ。たとえ、それが間違っていることだとしても。」
智也の言葉は、私の心を激しく揺さぶった。愛していると、あれほど真剣に言われてしまったら、誰だって心が動いてしまう。私は今、智也に背を向けることで、どれだけの痛みを背負うことになるのか。それがわかっていても、私は家族としての関係を守りたいと思った。
「智也…私が言うべきことは、ただ一つよ。私たちが一緒になることは絶対にない。あなたにはもっと素敵な人がいるはずよ。」
その言葉を言った瞬間、私の心が一気に冷たくなった。彼の顔に浮かぶ悲しそうな表情が、私の胸を締め付ける。しかし、私はそれでも決断を下さなければならなかった。
智也は少し黙った後、ゆっくりと肩を落とした。そして、無言で部屋を出て行った。扉が閉まる音が、私の心に深く響いた。
「ごめん、智也…。あなたの気持ちを無視してしまって…でも、これが私の答えなの。」
私は再び一人になった。しばらくその場で動けずにいたが、やがて立ち上がり、窓の外を見る。暗くなりかけた空の中で、私の心は静かに、しかし確実に、決まったことを反芻していた。今は辛いかもしれない。でも、きっと、これが私たち全員にとって一番いい選択なのだろう。
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