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夏の終わり、義母と二人




 セミの鳴き声が遠ざかり、風の音が涼しさを帯びてきた。八月の終わり。妻と子どもが妻の実家へ帰省し、家には俺と義母の二人だけが残された。  


「しばらく静かね」  


 義母は笑った。妻がいないからか、少し気が緩んだような雰囲気だった。普段は家事に忙しい義母だが、今日は珍しくのんびりと過ごしていた。  


「たまには、こういうのもいいですね」  


 俺が缶ビールを開けると、義母もグラスに冷えた麦茶を注いだ。夕方の縁側に二人並んで座り、静かに夏の終わりを感じていた。  


 日が落ちると、蒸し暑さが和らいだ。だが、まだ風は湿り気を帯びていて、肌にまとわりつく。  


「お風呂、いただこうかしら」  


 義母は立ち上がり、部屋へと戻っていった。  


 俺はぼんやりと、さっきまで義母が座っていた場所を見つめた。小柄だが、ふくよかな女性らしさを持つ義母。五十代とは思えないほど肌が綺麗で、よく見ると指の動きや仕草が妙に色っぽい。  


(……何を考えているんだ、俺は)  


 自分を戒めるようにビールを一口飲んだ。  


 ――それからしばらくして、義母が浴室から出てきた。  


 髪は濡れたまま、肩にかかっている。薄い浴衣をまとい、帯は軽く締めただけだった。襟元がわずかに開いていて、白い肌がちらりと見える。  


「暑いわね……」  


 義母は首元を軽く仰ぎながら、うちわで扇いだ。微かに石鹸の香りが漂う。  


 俺は目をそらそうとしたが、できなかった。  


 浴衣の裾が揺れるたびに、太腿のあたりがちらりと覗く。濡れた髪が首筋に張り付いているのが妙に色っぽく見えた。  


「……どうしたの?」  


 俺の視線に気づいたのか、義母は少し微笑んだ。  


「いや……その……浴衣、似合いますね」  


 ぎこちなくそう言うと、義母はクスリと笑った。  


「ありがとう。でも、昔みたいに綺麗に着こなせなくなったわ」  


 そう言いながら、帯のあたりを軽く引き締めた。  


 ほんの些細な仕草だったが、俺の胸の奥で何かが熱くなるのを感じた。  


「……義母さん」  


「なあに?」  


 義母は俺の隣に座り直した。湯上がりの体温が伝わってくるようで、心臓が妙に高鳴る。  


「もし、俺が……」  


 そこまで言って、言葉を止めた。  


 義母は少し驚いたように俺を見つめる。そして、静かに目を伏せた。  


「……ダメよ」  


 囁くような声だった。  


 だが、その声は、完全な拒絶ではなかった。  


 夏の終わり、二人きりの夜。  


 この距離のままでいられる自信が、もう俺にはなかった。





 義母の声はかすかに震えていた。  


 「……ダメよ」  


 そう言った義母の視線は、俺のものと交わったままだった。完全に拒絶するのではなく、どこか戸惑うような、迷うような眼差し。  


 静かな夜の中で、蝉の鳴き声も遠くなっている。窓の外では、夏の名残の風が揺れていた。  


 俺はゆっくりと手を伸ばし、義母の指先に触れた。すると、義母は一瞬身をこわばらせたが、すぐに力を抜いた。  


 「……どうして?」  


 義母は小さく呟いた。その声には、俺を責める響きはなかった。ただ、自分自身に問いかけるような、確かめるような、そんな響きだった。  


 「……ずっと、気づかないふりをしていました」  


 俺の指先をそっと握り返しながら、義母は小さく笑った。  


 「あなたが、私を見ていることも。私が、それを意識していたことも」  


 俺は息を呑んだ。  


 義母は静かにうつむき、ゆっくりと浴衣の襟を正す。その仕草はいつも通り慎ましく、そして、どこか色っぽかった。  


 「……こんなこと、いけないわよね」  


 わかっている。でも、義母の指先の温もりが、俺を引き止めた。  


 「俺は……」  


 俺は義母の手を、少しだけ強く握った。  


 「……このまま、何もなかったことにできますか?」  


 義母は一瞬、瞳を揺らした。  


 そして、ふっと目を閉じる。  


 夜の静寂の中で、俺たちの距離は、そっと縮まっていった――。  




 義母はそっと目を閉じたまま、俺の手のひらに指を重ねてきた。  


 静かな夜の空気の中で、互いの体温だけがはっきりと感じられる。  


 「……あなたが、こんなふうに私を見る日が来るなんて……思ってもいなかったわ」  


 微かな笑みを浮かべながら、義母は小さく息を吐いた。  


 「俺も……義母さんを、こんなふうに意識するなんて……思ってなかったです」  


 言葉にすることで、すべてが現実になっていくようだった。俺たちは、すでに引き返せない場所に来ているのかもしれない。  


 義母の指先が、俺の手の甲をなぞる。浴衣の襟元が少し崩れ、首筋にかかった濡れた髪が色っぽく張りついている。  


 「いけないわよね……?」  


 義母の問いかけに、俺はただ黙っていた。  


 言葉にすれば、すべてが壊れてしまいそうで――。  


 だが、義母は次の瞬間、そっと俺の手を引いた。  


 「……少しだけ」  


 細くてしなやかな指が、俺を誘うように絡まる。  


 蝉の声が遠ざかる中、夏の夜の熱が、俺たちの距離をゼロにした。  


 ――夏の終わりの夜、二人だけの秘密が、静かに始まった。  




 義母の指が絡んだまま、俺は彼女の手を引いた。  

 わずかに濡れた浴衣の裾がふわりと揺れ、畳の上を静かに滑る。  


 「……少しだけ」  


 そう言った義母の言葉が、頭の中で何度も反響していた。  

 少しだけ。ほんの少しだけ。  

 そう思いながらも、俺の胸の奥ではすでに引き返せないことを悟っていた。  


 義母は何も言わず、俺の隣に座る。  

 浴衣の隙間から覗くうなじが、月明かりに照らされて白く輝いていた。  

 濡れた髪からは、微かに石鹸の香りがする。  


 「……あなたのこと、息子として見てきたのよ」  


 義母の声はかすかに震えていた。  

 それは俺に言い聞かせるようでもあり、自分自身に言い聞かせているようでもあった。  


 俺は義母の顔をじっと見つめた。  


 「俺も……ずっとそう思っていました」  


 そう言いながら、俺はそっと手を伸ばした。  

 戸惑いながらも、義母は拒まなかった。  


 指先が彼女の頬をかすめた瞬間、義母は小さく息をのんだ。  


 「……だめ、よ……」  


 そう言いながらも、義母の瞳は俺を求めているように見えた。  

 俺はゆっくりと顔を近づけた。  


 浴衣の襟元がわずかに開き、肌が月の光を受けて柔らかく浮かび上がる。  

 俺の心臓が早鐘のように打ち始めた。  


 義母は目を閉じた。  


 すべてを受け入れるように――。  


 夏の夜風が、静かに俺たちを包み込んでいった。




 静寂の中、義母のかすかな息遣いが耳をかすめる。  


 触れてしまった。もう、引き返せないところまで来てしまったのではないか。  

 けれど、俺の指先はまだ義母の頬に触れたままだ。冷静になろうとするたびに、その柔らかな温もりが理性を崩していく。  


 義母は目を閉じたまま、何も言わない。  


 拒まないことが、許しの証なのか。  

 いや、そんなはずはない。  


 「……母さん……」  


 自分でも驚くほどかすれた声が漏れた。  

 義母の肩が、わずかに震える。  


 「いけないわ……こんなこと……」  


 震える唇から紡がれた言葉は、俺の心に鋭く突き刺さる。  

 いけないことだとわかっている。  

 それでも、彼女の手を離すことができない。  


 「……ごめん」  


 そう言いながらも、謝罪の言葉はどこか空虚だった。  

 俺が本当に求めているのは、赦しではなく、この先にある確かな繋がり。  

 でも、それを口にすることすら恐ろしかった。  


 義母はゆっくりと目を開き、俺を見つめた。  


 「私たち、どうかしているわね……」  


 その瞳の奥には、押し殺した葛藤が渦巻いていた。  

 戸惑い、恐れ、抗いながらも――消せない想いがそこにはあった。  


 俺は何か言おうとした。  

 けれど、義母はそっと顔を背けると、微かに笑みを浮かべた。  


 「……今夜は、もう休みましょう」  


 その言葉はまるで、全てをなかったことにするための呪文のようだった。  

 俺は頷くしかなかった。  


 義母は立ち上がり、ゆっくりと部屋を出ていく。  

 浴衣の裾が揺れ、その残り香だけが俺のそばに残された。  


 扉が静かに閉まる音が響く。  


 俺はひとり、月明かりの下で深く息を吐いた。  


 ――終わらせることはできるのか?  


 答えのない問いが、夏の夜風とともに胸の奥を締めつけていた。



魅力的な人妻

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