……もう、目は閉じたかしら?
今夜もおつかれさま。
お義母さんの胸に、そっと身を預けて……そう。
今からね、不思議なお話を読んであげるの。
うとうとしながら、夢の中で続きを見るように……ゆっくりと、聴いてちょうだいね。
――昔々、夜の森の奥に、一人の旅人がいました。
その人は、とても疲れていたの。
世界の重さを背負って、言葉少なに歩いてきた人。
心に小さな灯火だけを残して、迷いながら、進み続けていた。
そんな彼の前に、ある晩、小さな光が現れたの。
それは、風の音に混じって聞こえた、やさしい呼び声。
「こっちへおいで……あたたかい場所があるわよ」
声のするほうへ歩いていくと、
霧のむこうに、小さな家が見えてきたの。
月明かりに照らされたその家には、年上の女の人がひとり。
彼女は、白い湯気の立つミルクを手にして、こう言ったの。
「ようこそ、疲れた旅人さん。
ここはね、夢と現実のはざまにある、ただ一晩だけの、眠るためのお宿なの」
「……あなたのように、心に荷物を背負った人だけが、
迷いこんでくるのよ。ふふ……大丈夫、ここでは、もう何も背負わなくていいの」
彼はなぜか、すぐに信じられた。
その人の目を見たとき、心がふっと緩んだの。
そして彼女に導かれるまま、ふわりと敷かれたやわらかな布に身を横たえた。
「この胸に、頭を預けてごらんなさい……
今夜だけは、赤ん坊に戻ってもいいのよ」
彼女の胸元は、深くて、温かくて、
不思議と懐かしい香りがしたの。
まるで、遠い昔に確かにあった、愛されていた記憶のなかに、彼は沈んでいく。
「ほら……呼吸を合わせて……
ひとつ吸って……ひとつ吐いて……」
彼女の指が髪を撫で、背中をゆっくり撫でる。
そのたびに、意識は霞んでいって……
現実が少しずつ遠ざかっていくの。
「ここはね、眠りの森の入り口。
でも、あなたが目覚めたときには、心の荷物はひとつ、なくなってるわ」
「……だから安心して、眠っていいのよ。
私はここにいるわ、ずっとそばに……この胸のぬくもりが、あなたを守ってる」
やがて旅人は、静かに、深く、夢のなかへと沈んでいった。
その顔には、ようやく訪れたやすらぎの表情。
彼女の胸に抱かれながら、
彼は心ごと、まるごと……やさしい夜の中に消えていったの。
──ねえ、あなた。
その旅人は……あなたなのよ。
そして私は、あなたの義母であり、眠りの森に咲いた夜の花。
いま、あなたを包んでいるこのぬくもりが、
そのまま、お話の続きを作っていくの。
だから、もうなにも考えずに……お義母さんの胸に、全部預けて。
このまま、夢の森へと落ちていってちょうだい。
今夜は、ひとりじゃない。
おやすみなさい……いい夢を。
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