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午後二時の呼び鈴──誰にも言えない訪問者



 午後二時。

 夫の帰りは夜。

 その静けさが、いつもは心地いいのに――今日はなぜか落ち着かなかった。


 インターホンが鳴った。

「奥さーん、電気の点検で伺いました」

 低い声。

 数日前に届いた点検予告の紙を思い出し、私は玄関を開けた。

https://youtu.be/cqFYs_AE_Bo


「こんにちは。少し見させてもらっても大丈夫ですか?」

「あ、はい……どうぞ」


 作業服姿の男性は、思っていたより若くて、目元に柔らかい笑みを浮かべていた。

 家に入る瞬間、すれ違った肩がかすかに触れ、胸の奥がわずかにざわつく。


「配電盤は……どちらでしょう?」

「リビングの奥です。案内しますね」


 男性の足音が、家の静けさの中に響く。

 たったそれだけなのに、妙に音が大きく感じた。

 私は自分の呼吸が浅くなるのを感じる。


 リビングに入ると、彼は工具箱を置き、配電盤を開けた。

「すみません、少し暗いので……照明つけてもらえますか?」

「はい……」


 スイッチを押すと、明かりが彼の横顔を照らす。

 真剣なまなざし。

 作業で腕まくりされた前腕が、思いのほかしっかりしている。


 私は視線をそらした。

 なのに、どうしてか――落ち着かない。


「奥さん」

「……はい?」

「いえ、なんでも。ちょっと顔が赤いなと思って」

「そんなこと……」


 言いながら、胸の奥で何かがきゅっと縮む。

 見られたくないところを覗かれたような、妙な気恥ずかしさ。


 彼は作業を続けながら、ふと私の方を向いた。

「奥さん、家におひとりなんですか?」

「ええ、主人は夜まで戻りません」

 言った瞬間、空気が変わった気がした。


「……そうなんですね」

 その言い方が、どこか含みを持っている。


 配電盤の点検が終わり、彼はリビングを見渡した。

「他にも電球とか、不具合あれば見ますよ」

「あ……実は、廊下の電球が最近ちらつくんです」

「じゃあ見ますね。案内してください」


 廊下に立つと、彼との距離が急に近くなった。

 狭い空間。

 体温の気配がすぐ横にある。


「ここです」

 私が指さしたその上を、彼が覗き込む。

 顔が近い。

 少し見上げる形になると、息が胸の奥でつかえてしまう。


「……奥さん」

 彼が小声で言った。

「え?」

「さっきから……すごく緊張してますよね」


 心臓が跳ねる。

「そんな……こと……」

「いや、わかります。僕の気のせいじゃなければ……」


 見上げると、彼の目がまっすぐに私を見ていた。

 そのまなざしに射抜かれ、足が少し震える。


「奥さん……すみません。つい目が……」

「……なにを、見たんですか?」

「そんな顔……されたら、男なら誰だって」

 彼は言葉を濁したが、意味は十分伝わった。


「ちが……違います。そんなつもりじゃ」

「わかってますよ。でも――」


 彼は電球を外すふりをしながら、すれ違いざまに囁いた。

「こんな静かな家で、奥さんと二人きりなんて……想像以上に、危ないですね」


 息が止まりそうになった。

「……やめてください。冗談でも」

「冗談じゃなかったら?」


 彼の声が低く、少し熱を帯びていた。


 その瞬間、私ははっきりと自覚した。

 ――いま、自分が“境界線”に立っていることを。


「……戻って、作業の続きをしてください」

 自分でも驚くほど弱い声だった。


「はい。でも……一つ言わせてください」

 彼はゆっくりと振り返り、真っ直ぐな目で言った。


「奥さん、さっきから……僕の方を見る目が、家の中のものを見る目じゃなかったです」


 胸が熱くなる。

 どきりと脈が跳ね、足先までしびれるような感覚が走った。


「違……」

「違うなら、目を合わせて否定できます?」


 できなかった。

 目が合った瞬間、すべてを見透かされそうで。


 沈黙の中、彼は静かに工具箱を閉じた。

「……今日はこれで終わりです。点検も問題ありません」

「……ありがとうございます」


 玄関まで見送る。

 靴を履く彼の背に、妙な緊張が流れる。


「奥さん」

「……はい」

「また来週、正式な点検があるんです。その時も……俺が来ます」

「そう……なんですか」

「ええ。だから……」


 彼は少しだけ微笑んだ。

「その時までに、気持ち……落ち着かせておいてください」


 玄関のドアが閉まった。

 静寂が戻る。

 なのに、呼吸が整わない。


 私は壁にもたれ、胸を押さえた。


 ――なにをしているの、私。


 夫のいない家。

 知らない男の声、距離、まなざし。

 予想しなかった“揺らぎ”が、まだ身体の奥で静かにくすぶっている。


 息を吐いたけれど、熱は引かない。


「……来週、また来るのね」


 誰に聞かせるわけでもない独り言が、妙に甘く震えていた。


 そして私は、自分の胸の奥に残った“ざわめき”を、

 どうしても消せないまま、しばらくその場を動けなかった。


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