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義従兄と雨音が隠した「びしょ濡れ」


「ただいま……あら、まだ帰ってなかったのね」

 玄関を開けた瞬間、私は思わず声を漏らした。
 靴箱の前に置かれた、男物の革靴。
 夫のものではない。
 ——夫の従兄、圭介さんだ。

https://youtu.be/8XRM9ITgvbU


「悪いな、急に来ちまって」
「いいえ。雨が強いから心配してたところよ」

 台所から顔を出すと、圭介さんはいつものように、少し申し訳なさそうに笑った。
 けれどその目は、私の髪や服の濡れ具合を細かく追っている。

「傘、折れちゃって……びしょ濡れだな」
「ほんとよ。もう、ついてないわ」

 ため息をつくと、圭介さんはタオルを差し出してきた。
 その距離が妙に近くて、胸の奥がざわついた。

「拭いてやるよ」
「ちょっと……自分でできるわ」
「濡れて風邪ひくぞ」

 タオルが首筋に触れた瞬間、背中がふっと震えた。
 雨の冷たさとは違う、じわりとした熱が肌の奥から浮かんでくる。

「ほら、まだ冷えてる」
「圭介さん……そんなに優しくされたら……」
「ん? どうした?」

 わざと聞き返すような声だった。
 この人はいつもそう。私の動揺を楽しむように、少しだけ踏み込んでくる。

 夫は海外出張で数か月家を空けている。
 その間、何かあれば彼が家を見に来てくれる。
 “家族だから”という理由で。

 ——その言葉だけが、いちばん厄介だ。

「お茶、淹れるわね」
「いや、いい。座ってろ」

 リビングのソファに座らされ、タオルをもう一度渡された。
 圭介さんは、キッチンで湯をわかす音を立てている。

 その背中を見つめているだけで、胸が締めつけられた。

 どうして、この人は家の中にこんなに自然に立っていられるの。
 どうして私は、それを拒めないの。

「熱いから気をつけろよ」
「ありがとう……」

 湯気がふたりの顔の間にゆらゆら漂う。
 その白い揺らぎが、境界を曖昧にしてしまう。

「なぁ、美咲」
 名前を呼ばれ、指先が震えた。
 夫でさえ、こんなふうに優しく呼んだことはない。

「最近、ちゃんと眠れてるか?」
「え……どうしてそんなこと」
「目が少し赤い。無理してんだろ」

 視線がまっすぐで、逃げられなかった。

「……圭介さんが、心配してくれるからよ」
「俺だけじゃねぇよ。——あいつ(夫)も、きっと心配してる」

 そう言いながら、圭介さんは私の手に触れた。
 ほんの指先だけ。
 なのに、全身に熱が広がる。

「家族なんだ。頼れよ、美咲」
「そんなふうに言われたら……余計に、頼れないわ」

「どうして」
「だって……あなたに触れられると、考えちゃうのよ。
 “これは家族の距離じゃない”って」

 圭介さんは息を呑んだ。
 けれど手は離さなかった。

「俺も同じこと、思ってたよ」
「だめ……そんなこと言ったら」
「でも、嘘ついたらもっとだめだろ」

 言葉の重さが、雨音に吸い込まれていく。

「美咲……寂しいか?」
「……強がってただけよ」
「強がらなくていい」

 そのまま、そっと肩に手が置かれた。
 抱きしめるでもなく、ただ寄り添うような距離。
 その曖昧さがいちばん残酷だった。

「圭介さん……離れてくれないと、私……」
「離れたら、もっと寂しくなるだろ?」

 返事ができなかった。
 俯いた私の指を、圭介さんの手が静かに包む。

「泣いてもいい」
「泣いてない……」
「泣きそうだ」

 その声があまりに優しくて、胸の奥がほどけた。

「圭介さん……」
「家族だから、寄りかかれよ」
「……そんな家族、ずるいわ」

 彼は静かに笑った。
 その笑いが、いちばん罪深かった。

 雨は、まだ強く屋根を叩いている。
 夫の帰らない家で、ふたりの影がゆっくりと重なっていく——。

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