薄明かりが差し込む古い和室。畳の上には、年月を感じさせる擦り切れた布団が敷かれ、外では風が竹林を揺らす音がかすかに聞こえる。外の世界から隔絶されたかのような静けさが部屋を包んでいる。
「あなた、また飲んで帰ってきたのね。」
美智子は台所で洗い物をしながら、背中越しに言った。彼女の声には冷たい響きが混ざっている。
「悪いか?仕事の付き合いだって言っただろう。」
良一は酔いが回った足取りで玄関に靴を脱ぎ捨て、居間に入ってきた。彼の顔は赤らんでいて、少し乱れたシャツのボタンが一つ外れている。
「そんなこと言って、毎晩同じじゃない。」
美智子は手を止め、振り返らずに言葉を続けた。その口調には、長年蓄積された怒りと悲しみが滲んでいる。
「お前には関係ないだろう。俺だって息抜きが必要なんだよ。」
良一は乱暴に椅子に座り、テーブルに置かれた冷たい茶碗に目をやった。中身はすでに乾ききっている。
「関係ないですって?毎日一人で家にいて、あなたが帰るのを待つだけの私に、関係ないって?」
美智子はようやく手を拭き、ゆっくりと良一の方に向き直った。その目には、押し殺してきた感情が浮かんでいる。
「俺が何をしようと、お前が口出しすることじゃないんだよ。」
良一は吐き捨てるように言い放ち、タバコに火をつけた。煙が部屋の中でゆらゆらと漂う。
「そう、わかったわ。」
美智子は静かに頷き、何かを決意したかのように台所へ戻った。
夜が更けるにつれ、二人の間に漂う沈黙はますます重くなっていく。窓の外には、ぼんやりとした月明かりが差し込む中、二人の間に流れる時間はあまりにも遅く感じられた。
突然、玄関の扉が音を立てて開いた。驚いた良一が振り返ると、美智子が手に小さなバッグを持ち、外に出ようとしている。
「どこに行くんだ?」
良一は声を荒げたが、美智子は答えなかった。彼女はただ、無言で玄関を出て、静かに扉を閉めた。
残された良一は、一人でその場に立ち尽くした。外からは、遠くでかすかに響く電車の音が聞こえるだけだった。彼は手元に残った冷たい茶碗を見つめ、その重さが今になってずっしりと胸にのしかかるのを感じた。
扉の向こうで、美智子はしばらく立ち止まり、深呼吸をした。そして、彼女は決して振り返らずに、一歩一歩、自分の足で新たな道を歩き始めた。
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