静まり返った田舎の夜。窓の外には満天の星が広がっているが、月明かりが差し込む農家の一軒家は、どこか寒々しい空気に包まれている。古びた木製の床が軋む音が、二階から聞こえる足音とともに響く。台所の電気は消えているが、寝室からわずかに漏れる光が家の奥をぼんやりと照らしている。
「今日も遅かったな…どこ行ってた?」
重い息を吐きながら、俊夫は布団の中から絞り出すように言葉を投げかけた。彼の声は低く、疑念に満ちている。
「田んぼの様子を見に行ってただけよ。稲の具合が悪くて、少し様子を見てたの。」
美咲は冷静に答え、静かに部屋に入ってくる。髪は少し乱れ、手には畑の泥がついたままだった。
「田んぼだって…この時間にか?」
俊夫は布団から上半身を起こし、美咲を鋭く見つめる。その目には、言葉にできない怒りと不信が浮かんでいた。
「あなたには分からないわ、稲のことは私が全部やってるんだから。」
美咲はベッドの上に腰を下ろし、上着をゆっくりと脱いだ。その仕草は疲れた農家の嫁というより、どこか緊張感を漂わせている。
「なんだよ、その言い方。俺は何も知らないってか?お前、何か隠してるだろ?」
俊夫はさらに問い詰めるように言い放ち、布団から完全に出て立ち上がった。彼の影が、寝室の薄い照明に映し出され、美咲に覆いかぶさるように伸びる。
「隠してることなんて何もないわよ。ただ、あなたが知らないだけ。」
美咲は冷静を保ちながら、カバンの中から携帯を取り出して机の上に置いた。
「なら、その携帯見せろよ。」
俊夫は怒りを露わにしながら、手を差し出す。その声は抑えきれないほど激しく震えていた。
「携帯?何があるって言うの?」
美咲は微笑みながら携帯を彼に差し出す。挑戦的な態度を見せながらも、心の奥には何かを隠し通そうとする意志がある。
俊夫は携帯を手に取り、急いで画面を操作する。美咲の目はその様子を冷ややかに見つめ、静かに息を吐き出す。
「何も出てこない…本当に何もないのか?」
俊夫は画面を見つめたまま、困惑した様子で呟く。
「言ったでしょ、何もないって。でも、あなたは信じてないんでしょうね。」
美咲は立ち上がり、俊夫の目を見つめる。その瞳には、挑発的な光が宿っている。
「信じてないわけじゃない…ただ、お前が夜中に出かけてるのが怪しいんだよ。」
俊夫は声を荒げ、拳を固く握りしめた。その手は震え、彼の焦燥感が伝わってくる。
「怪しい?そう思うなら、もっとよく調べればいいじゃない。」
美咲は冷たく笑い、再び畳に腰を下ろす。その表情には、どこか余裕が感じられる。
「お前、本当に俺をバカにしてるのか?」
俊夫は怒りを抑えきれず、机を叩く。大きな音が静まり返った夜の家の中に響き渡った。
「バカになんかしてないわ。ただ、もう…あなたとは話すことがないの。」
美咲は静かに答え、携帯を俊夫から取り返すと、再び冷静にポケットにしまった。
俊夫は、怒りの中に戸惑いを隠せず、無言で美咲を見つめる。その姿は、かつての彼の力強さを失ったただの影のように見えた。
「俺たち、どうなっちまったんだ…。」
彼は呟き、力なく布団に腰を下ろす。その目には、何かを諦めたかのような虚ろな光が浮かんでいる。
「私たち?きっと、もう昔に終わってたのよ。でも、あなたが気づいてなかっただけ。」
美咲は立ち上がり、静かに寝室を出て行った。その背中は冷たく、もう二人の間に愛情の温もりは感じられなかった。
夜風が、開け放たれた窓から吹き込んできた。外の田んぼは静かに揺れているが、家の中には二人の間に流れる冷たい沈黙だけが残されていた。
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