夜の闇が深まる中、街は静寂に包まれていた。古びたビルの一室、薄暗い照明が部屋の隅を照らし、寂寥感が漂っていた。ベッドの端に腰掛けている涼子は、窓の外に広がる夜景をじっと見つめていた。煙草の煙がゆっくりと彼女の周りを漂い、空気に重い緊張感が混じっていた。
「またここに来てしまったのね…」涼子がため息混じりに呟いた。
ドアが静かに開き、男が入ってきた。健二だ。彼は無言で部屋に入ると、涼子の隣に腰を下ろした。ふたりの間に流れる静けさは、長い年月を共にしてきた者同士のものだったが、同時にどこか不穏な空気も漂わせていた。
「来るなって言ったのに…」涼子が視線を外したまま、低く呟いた。
「俺だって、こんなことしたくないさ。」健二はソファに身を預け、疲れたように息を吐いた。
涼子は苦笑を浮かべ、煙草を灰皿に押し付けて消した。「嘘ばっかり。私たち、いつもこうね。お互いに終わりにしようって言ってるくせに、結局また戻ってきて…」
「そう簡単には終われないんだよ、俺たちは。」健二の声は低く、感情を押し殺しているようだった。
涼子はその言葉を聞きながら、かすかに頷いた。彼の言うことは正しい。二人は何度も別れようとしたが、互いを引き寄せる欲望に勝つことができなかった。背徳的でありながら、その関係は彼らにとって逃れられないものとなっていた。
「奥さんはどうしてるの?」涼子は健二の顔を見つめ、わざとらしく問いかけた。彼女の声には、冷たい皮肉が混じっていた。
「気づいてないさ。」健二は短く答えたが、その言葉には重い罪悪感が含まれていた。
「本当に?あなたが毎晩遅くまでここにいるのに、何も疑ってない?」涼子は微笑んだが、その笑顔にはどこか悲しみが漂っていた。
「俺がどうにかしてる。それに…今更何を言っても意味がない。」健二は顔を覆うように手を置き、疲れたように頭を振った。
「そうね。何を言っても、結局私たちはここに戻ってくる。」涼子はそう言って立ち上がり、窓際に歩み寄った。彼女の背中は寂しげで、彼女自身もこの関係に疲れ果てているようだった。
「涼子…」健二が呼びかけたが、彼女は振り返らなかった。
「私たち、終わることができないのよ。あなたも、私も、それが分かっている。」涼子は窓の外の景色を見つめながら、静かに言った。「でも、このままじゃ何も変わらない。私たち、お互いを壊しているだけよ。」
健二は沈黙し、涼子の言葉を受け止めた。その通りだとわかっていても、彼はこの欲望から逃れられない。彼女に会うたびに感じる激しい衝動が、自分を縛り付けていることを理解していた。
「何が正しいかなんて、もう考える余裕なんてないよ。」健二は静かに呟き、彼女の背中に目をやった。
涼子はしばらく窓の外を見つめた後、健二の方に振り返った。「あなたが私に会いに来るたび、私は少しずつ壊れていくの。でも、やめられない。あなたも同じでしょ?」
「そうだ。」健二は顔を上げ、彼女を見つめた。「俺も壊れてる。でも、お前と会わないと…どうしようもないんだ。」
涼子はその言葉に微笑みを浮かべた。「それが、終わりのない欲望ってやつなのね。」
ふたりは無言のまま見つめ合い、部屋の中には再び重い静寂が訪れた。外の雨は止み、夜の静けさが深まっていく。欲望がもたらす快楽と痛みが絡み合い、彼らはその終わりのない迷路の中に囚われていた。
欲望に縛られ続ける二人の関係は、終わりを見つけることができず、暗い夜の中で揺れ続けていく。
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