台所に立つ義母の姿を、俺はいつも横目で見ていた。白い割烹着に包まれた背中。年齢を重ねてなお、しなやかな所作は失われていない。義母は今、里芋の皮を剥いている。小刀を器用に動かしながら、滑りやすい芋の表面を丁寧に削ぎ落としていく。その動きを見ているだけで、俺の心はざわつく。
「ほら、これ、ぬめりがあるから気をつけないとね」 義母は笑みを浮かべて、剥いたばかりの里芋を水にさらした。洗い流される白い肌が、まるで人の奥底をあらわにするようで、俺は言葉を失った。
俺は中年になった。家庭も仕事もそれなりに安定し、外から見れば何不自由なく生きている男に見えるだろう。だが、心の奥底には、言葉にできない空洞があった。虚しさ、渇き、そしてときに禁断の欲望。その渦中に現れるのが、義母の何気ない仕草だった。
「あなたも、少し手伝ってくれる?」 促され、俺は流し台に近づいた。冷たい水に沈む里芋に触れた瞬間、ぬめりが指に絡みつき、何とも言えぬ感触が胸の奥に波紋を広げる。義母の手が重なることはない。ただ、隣に立ち、同じ作業をしているというだけで、背筋に熱が走るのだ。
人はなぜ、家族という枠組みの中で欲望を抑え込まねばならないのか。義母は血のつながりのない存在だ。それでも「義」という二文字が、俺の心を縛りつける。皮を剥くように理性を削ぎ落とせば、きっと俺の中の生々しい欲求が露わになってしまうだろう。だからこそ、洗い流さねばならない。罪悪感という名の水に、何度も何度もさらして。
「もうすぐ煮えるわ。いい香りがしてきたでしょう?」 義母は鍋を覗き込み、静かに微笑んだ。湯気の向こうに浮かぶその横顔は、若い頃の面影をまだ残していた。俺はただ頷くだけで、言葉を発することができなかった。胸に込み上げる感情は、感謝なのか、憧れなのか、それとも抑えきれぬ衝動なのか、自分でもわからない。
里芋の皮を剥き、洗い流すという行為。そこには日常の一コマ以上の意味が隠れているように思えた。表面を覆うものを剥ぎ取り、奥にある白い素肌をあらわにする。その行為を見つめながら、俺は自分の心にも同じ作業を試みる。虚飾を剥ぎ、欲望を洗い流し、最後に残るのは何なのか。
――もし、すべてを剥ぎ取り、洗い尽くしても、それでも残るものがあったなら。それはきっと、人間の本質なのだろう。欲望と罪悪感、その両方を抱えながら生きるしかない中年男の本質が。
義母は鍋から小鉢に煮物をよそい、俺の前に差し出した。 「召し上がれ。あなたの好きな味に仕上げたから」
俺は箸を取り、ひと口食べる。柔らかく煮えた里芋が舌の上でほどけ、優しい出汁の香りが広がる。その瞬間、胸の奥に詰まっていた何かが溶けていくように感じた。
義母の優しさも、俺の心の奥のざわめきも、すべてを含んだ味だった。罪と欲望が交錯する中年の人生に、それでも温もりを与えてくれるのは、こうした何気ない日常の一皿なのかもしれない。
俺は静かに息を吐き、心の中でつぶやいた。 ――皮を剥いて、洗っても、消えないものがある。だからこそ、人は人を想い続けるのだ。
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