五十歳になったいま、私は毎日のように自分の心を持て余しています。
もう落ち着く年齢なのに、なぜこんなにも心も体も疼いてしまうのだろう――。
きっかけは、職場にやってきた契約社員の彼でした。
まだ三十代半ば、息子とそう変わらない年齢。
けれど、彼の視線が私に注がれるたび、心臓はいやに大きな音を立てる。
「お疲れさまです、部長」
そう言って軽く笑いかけられるだけで、女である私が目を覚ましてしまうのです。
ある日、残業でふたりきりになった夜。
コピー機の前で、彼の指先が私の手に触れた。
ほんの一瞬だったのに、電流のような衝撃が全身を駆け抜けました。
「すみません」
彼は照れくさそうに笑った。
けれど、その笑顔の裏に潜む熱を、私は見逃さなかった。
心の中で理性が叫びます。
――だめよ、あなたは既婚者。彼は部下。
でも、もうひとつの声が囁くのです。
――まだ、女でいたいんでしょう?
次の夜、また残業でふたりきり。
資料を確認しようと身を寄せた瞬間、彼の吐息が耳元をかすめた。
その温かさに、全身が震える。
気づけば、私の指先は机の縁を必死に掴んでいました。
あと少し、ほんの数センチ顔を近づければ――唇が触れてしまう。
「……部長」
彼の声が低く沈む。
呼吸が交わり、時間が止まる。
けれど、私は寸前で視線を逸らし、椅子を立ち上がりました。
「だめよ……」
そう呟くのが精一杯でした。
理性と欲望のせめぎ合い。
抱きしめられたい。唇を重ねたい。
でも、それを許した瞬間、すべてが壊れてしまう。
だからこそ、ギリギリで踏みとどまる。
その夜、家に帰っても心臓の鼓動は収まらず、布団の中でひとり震え続けました。
夫と眠る同じ部屋で、私は女としての渇望に苛まれる。
「どうして、私はこんなに揺れてしまうの……?」
翌日、彼と目が合う。
何もなかったように仕事をこなすけれど、互いの心には昨夜の寸止めが生々しく残っている。
視線が重なれば、あのときの熱が蘇る。
触れなかった唇が、触れなかった手が、かえって強く疼くのです。
五十歳、まだ女でいたい。
女として求められたい。抱きしめられたい。
けれど理性が、「寸止め」という苦しい檻に閉じ込めてしまう。
私は今日も笑顔を装いながら、その葛藤を胸に秘めています。
――いつか、この寸止めを超えてしまう日が来るのか。
それとも、女の盛りを抱えたまま、永遠に揺れ続けるのか。
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