鏡の前で、私は深く息をついた。
今夜は高校の同窓会。
五十歳になった私にとって、懐かしい仲間との再会は、正直なところ気が重い。
年齢を重ねた自分をどう見られるのか、不安が胸に広がっていた。
「……でも、もう一度、あの頃の私を取り戻したい」
真紅の口紅を引き、少しだけ胸元の開いたワンピースを選んだ。
夫に「行ってくるわ」と告げても、彼はテレビから目を離さず、ただ「うん」と返すだけ。
寂しさを押し隠して、私は会場へ向かった。
ホテルの宴会場に入った瞬間、ざわめきと笑い声が耳に飛び込む。
懐かしい顔が次々と目に入る中――
視線が絡んだ瞬間、時が止まった。
「……浩司?」
そこに立っていたのは、学生時代、私が密かに想い続けた初恋の人。
彼もまた驚いたように目を見開き、そして柔らかく笑った。
「美沙子……全然変わってないな」
その言葉に、胸が熱くなった。
変わったはずなのに。変わらないわけがないのに。
でも彼の瞳は、あの頃のまま、私を見ていた。
乾杯が終わり、時間が経つにつれて、私と浩司は自然と隣に座っていた。
思い出話に花を咲かせ、笑い合ううちに、胸の奥がどんどん締めつけられていった。
「美沙子、あの時……実は俺、お前のこと気になってたんだ」
グラスを傾けながら、彼が不意に囁いた。
心臓が跳ね、指先が震えた。
「やめてよ……今さら、そんなこと……」
口ではそう言いながらも、視線を逸らせなかった。
彼の瞳に吸い込まれそうで、唇が乾いていく。
二次会を断って、私たちはホテルのラウンジへ向かった。
夜更けの静けさとほの暗い灯り。
窓の外には都会の灯りが滲み、まるで夢の中にいるようだった。
「綺麗だな……美沙子」
その声は、今の私を指しているのか、過去の私を見ているのか。
答えを探すより早く、彼の指先が私の髪に触れた。
「……っ」
五十歳になって、こんなにも心と体が震えるなんて思わなかった。
夫にも、もう長い間触れられていない髪を、浩司の指がゆっくり撫でる。
その温もりに、全身が甘くしびれていった。
「だめよ……私は妻なの」
「わかってる。でも……お前を見てると、あの頃に戻りたくなるんだ」
彼の声は低く、熱を帯びていた。
触れ合いそうな距離で、互いの吐息が混ざる。
抗う心と、求める心がせめぎ合って、私は目を閉じた。
ほんのわずかに唇が触れそうになった瞬間――
ラウンジの扉が開き、スタッフが入ってきた。
私たちは慌てて姿勢を戻したけれど、胸の鼓動は収まらなかった。
家に帰ると、夫はいつものように寝息を立てていた。
その隣に横たわりながら、私は天井を見つめていた。
「どうして……私はまだ、女でありたいのだろう」
「愛されたい……抱きしめられたい……」
初恋の人に触れられた髪の感触が、何度も蘇る。
罪悪感よりも、欲望が鮮やかに燃え上がる。
鏡の前に立ち、口紅を塗り直す。
唇に浮かぶ赤は、まるで欲望の炎のようだった。
「五十歳……それでも、私はまだ女。
あの頃と同じように、愛に揺れて、熱くなれる女なのよ」
そうつぶやいた瞬間、再び胸の奥から熱が込み上げてきた。
初恋と、禁断の欲望が、これからの私をどこへ連れていくのか――誰にもわからない。
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